院長あいさつ
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院長あいさつ

教養教育研究院長 林 久博

教養教育研究院長
林 久博

中京大学教養教育研究院についてお話しするにあたり、まずは大学を卒業するための要件について概略的な話をしたいと思います。中京大学では学部固有科目と全学共通科目の双方で必要な単位を修得して、晴れて卒業証書を手に入れることができます。学部固有科目とは各学部が提供している専門科目のことで、卒業必要単位の約3分の2を占めます。一方の全学共通科目とは、「学術的基盤」を築くことを目標とした科目のことです。グローバルコミュニケーション、スポーツ・健康、人文科学、自然科学、社会科学、複合領域の各分野から幅広く学びます。これが卒業必要単位の約3分の1を占めます。これらの科目を提供するのが教養教育研究院です。「幅広く勉強し総合的な知を身に付ける」というのがここで学びの核となります。

さて、受験勉強を終えてやっと自分の関心のある学問を専門的に勉強できると期待していた人には、これらの全学共通科目はいささか回り道に思えてしまうかもしれません。専門科目をとにかく学びたい、だから余分な勉強はしたくない、と考える人もきっと少なくないはずです。実際のところ全学共通科目は大学を卒業するための通過儀礼と見なされがちです。いわゆる「コスパ」「タイパ」が重視される今の時代ではなおさらそうなのかもしれません。

幅広く勉強することは確かに大変です。時間や労力もかかります。しかしながら、今後学生の皆さんが社会に出て行くとき、幅広く勉強して経験を積んでおくことは絶対に必要なことだと考えます。ここで少し身近な話をしてみましょう。『耳をすませば』というジブリ映画があります。読書が何よりも好きな女子中学生の月島雫と、雫の同級生でバイオリン職人を目指す天沢聖司の甘酸っぱいラブストーリーです。映画の終盤、雫は受験勉強を中断して小説を書き始めます。それは聖司が夢を実現させるためにイタリアに旅立つことを知ったからでした。同じ本を読んで同じ場所にいた聖司がいつの間にか先に行ってしまう。そんな焦りから雫は何かをせずにはいられなかったのです。小説を初めて書くわけですから当然うまくはいきません。しかし執筆を通じて雫には気付いたことがありました。彼女は泣きじゃくりながら言葉少なにこう言います。「私、書いてみて分かったんです。書きたいだけじゃだめなんだってこと。もっと勉強しなきゃだめだって。」

なぜ、「もっと勉強しなきゃだめ」という反省の言葉が雫から発せられたのでしょうか。それは、自分には知識や経験が圧倒的に不足していると自覚できたからに他なりません。雫は執筆のために実際的な知識を慌てて蓄えようとします。(映画をよく見てみると『鉱石図鑑』『猫の民俗学』『東欧史』などの本を漁っています。)自分がいかに物事を知らないか、そして経験に乏しいか、小説の執筆を通じて自覚させられるのです。加えて、文章を書いてまとめる技術が不足していることにも気付きます。彼女はこう言っています。「書きたいことがまとまっていません。後半なんか滅茶苦茶」と。

雫の言う「勉強しなきゃだめ」は、学校での机上の勉強に限ったことではないはずです。この先様々な経験をして、知識を幅広く獲得していく必要があること。そうすることで人間的に成長して、それがやがて執筆にも活かされるということに気付いたのではないでしょうか。このとき彼女はコスパやタイパなど考えもしなかったはずです。「すべてが自分の糧になる」という意識に満たされていたに違いありません。

劇中に登場する聖司のおじいさんは、エメラルドの原石が含まれた石を雫に見せながらこう言います。「雫さんも聖司もその石みたいなものだ。(…)バイオリンを作ったり、物語を書くというのは(…)自分の中に原石を見つけて時間をかけて磨くことなんだよ」と。中京大の学生の皆さんには、教養教育研究院での科目履修を通じて、多面的に自分の「原石」をじっくりと磨いてほしいと思っています。私たち教員は、皆さんそれぞれが輝きを放てるよう、時に厳しく特に温かく見守りながら指導していきます。

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