研究科長挨拶
文学研究科長
小川 和也
本研究科では、既設の日本文学・日本語文化専攻に、歴史文化専攻が新設され一専攻体制から二専攻体制となった。受験者数・入学者数ともに増加し、非常に活況を呈していることは大変よろこばしい。また、歴史文化専攻は完成年度たる2019 年度を迎え、初めての修了生を送り出すことができた。
今年度は新型コロナウイルスの感染拡大という非常事態とともに新学期が始まり、未曾有の事態に対処しつつ研究をせざるを得ない状況となった。緊急事態宣言が解除され、校内での研究活動が徐々ではあるが許可されるようになり、院生は、いわゆる「3密」を避けながらではあるが、院生室での研究が可能になったことで、ひとまずホッとしている。
今年、『日本文化研究における歴史と文学─双方の視点による再検討─』(中京大学先端共同研究機構文化科学研究所)が刊行された。本研究科の教員が執筆陣にくわわり、日本文学・日本語文化・歴史文化の複眼的な視点から歴史と文学についての論考を寄せている。編著者の柳沢昌紀氏によれば「歴史学と文学には密接な関係があり、相互に補いあうもの」であり、本書では「歴史学と文学の接点をさぐることを目指した」という。実際、2000 年以降、フランス歴史家のロジェ・シャルチエの読者・読書論に影響を受けつつ、日本でも歴史学において書物を史料とする研究が盛んになると、一気に文学との垣根が低くなった。
歴史学研究会の大会で二宮宏之が「歴史家の営みは、表象としての史料を媒介として、さらにそれを表象するという、二重の表象行為である」と論じて、歴史学界に衝撃を与えたのは1999 年のことであった(のち「戦後歴史学と社会史」として『二宮宏之著作集』4巻に収録)。もはや、史料における表象性と、歴史研究者の叙述の物語性に対する検証を抜きにした、素朴な、そして楽観的なかたちでの歴史実証主義は成り立たなくなったといえよう。史料も、歴史叙述も文学性を帯びている。
新型コロナウイルス災害は、9.11 同様に、人々の「日常」に深刻な影響をあたえ、新しい「日常」なるものが模索されるなか、いったい学問とは何か、学問することにどんな意味があるのか、学問そのものの存在意義が根底から問われている。
しかし、つぎつぎに変化していく勢いに押されて、普遍的な価値・理念を見失い、相対主義の海に押し流されてはいけない。不易と流行。幕末の志士・橋本左内が「急流中底の柱、即ち是れ大丈夫の心」といったように、世の中の激しい流れに身を置きつつ、流されない価値に立脚し、何が事実であるかを見定め、古典に学び、明晰な言葉で考えることが求められる。
危機の時代こそ、人文学の真価が試されていると考えている。