公文書研究

公文書管理制度の形成にあたっての「権利」の視座の構築

研究組織

氏  名 個別参加テーマ
矢切 努(研究代表者) 公文書管理の実態・日本担当
土井 崇弘 公文書管理の哲学・思想・日本・欧米担当
酒井 恵美子 近代史料の保存管理・中国担当
東山 京子 公文書管理の技術論・台湾・イタリア担当
檜山 幸夫 公文書と歴史資料・台湾担当
大友 昌子 近代史料の保存管理・日本担当
手塚 崇聡 公文書管理制度の比較研究・カナダ担当

研究調査期間・場所

調査期間 : 2023年度から3年間
①国内の行政機関
・地方公共団体における公文書管理条例の整備状況と制度運用の現状
・公文書管理条例を整備している市町村
②海外の行政機関
・公文書管理制度の形成を通じた情報自己決定権の具体化および公文書保存の法制度と実態との乖離状況
・ドイツ・フランス・イタリアなど
③海外及び国内の周縁アーカイブなど

研究目的

 本研究の目的は、公文書管理法における「公文書等」という概念が指し示すものを「個人のアイデンティティ記録」として概念特定化することで、個人の記憶に関する記録を散逸・廃滅の危機から救い出すことである。我が国では、奈良県情報図書館の「戦争体験文庫」や沖縄市の「沖縄市戦後文化資料展示館ヒストリート」などの事例もあるが、これらは極めて稀なケースであり、日本で本来残されるべき市民にとって必要な記録、市民が子々孫々に受け継ぐべき記録、いうなれば市民のアイデンティティを形成し後付けられる記録が十分に残されていない。なぜ、日本ではこうした記録を残せないのか。その理由は、そもそも、従来の公文書管理論に関する諸研究に「個人のアイデンティティ記録」を残すべきであるという視点自体が欠落していたためである。しかし、こうした視点に基づく研究を行い、「個人のアイデンティティ記録」を収集・保存・管理・利用するための概念の特定化を行わなければ、国民それぞれの「おもい」をもった記録を残すことはできないという結論に達した。そこで研究者らは、哲学者アラスデア・マッキンタイアの「私の人生についての物語は、常に、私のアイデンティティの源である共同体の物語の中に埋め込まれている」「私が何であるかということは……、重要な部分において、私が何を受け継ぐかということである」という指摘にヒントを得て、歴史学・アーカイブズ学・法学・哲学・民俗学などの研究者で共同研究を行うことで、本来残されるべき、国民共有の「戦争」や「災害」などの記憶や記録を伝承できる仕組みづくりに向けた提言を行うことが本研究の目的である。

研究計画

 本研究では、残すべき記録について「個人のアイデンティティ記録」という概念特定化を行うべき学術的意義をめぐり、下記の実証的研究A・B、理論的研究C・Dに絞り論証する。
A.「そもそも、残すべき記録とは何か」という“問い”に対して、(1)調査・実証研究班に所属し歴史学を専攻する檜山幸夫は、記録が現存している原因について制度的・社会文化的背景を歴史学的視点から追究することで、(2)調査・実証研究班に所属しアーカイブズ学を専攻する東山京子は、ヨーロッパの市民の記録が残された文書館または地域コミュニティの記録を収集する資料館において調査を行い、「個人のアイデンティティの水源としてのアーカイブズ」とは一体いかなる記録なのかを明らかにすることで、(3)調査・実証研究班に所属し民俗学を専攻する酒井恵美子は、「個人のアイデンティティ記録」としての内実を具体的に明らかにするために、自発的に個人によって編まれた字誌、個人史の分析を行うことで、何を「個人のアイデンティティ記録」として残すべきなのかをそれぞれ実証する。
 B.「なぜ残すべき記録が、残され、あるいは、残されていないのか」という“問い”に対して、(1)檜山は、今までの実地調査の結果から得た結論により、それらの多くが制度的問題だけではなく担当者の個人的判断の結果によるとの現実的状況を踏まえ、その根源を解明し、(2)東山は、日本の地方公共団体のアーカイブズ機関において個人アイデンティティ記録の収集状況を調査し、なぜ収集しているのかまたは収集していないのかを実証し、(3)酒井は、公文書館等への寄託・寄贈文書の受け入れ状況を調査・実証する。
 C.「なぜ、残すべき記録を『個人のアイデンティティ記録』と概念特定化することが、理論的見地からみて有益だと判断できるのか?」の“問い”に対し、(1)理論研究班に所属し法哲学を専攻する土井崇弘は、主にF・A・ハイエク、A・マッキンタイア、C・テイラーの理論を参考に、個々人が社会生活を送る上でアイデンティティが必要不可欠であるという理論的素地を、(2)理論研究班に所属し憲法学を専攻する手塚崇聡は、「個人のアイデンティティ記録」の法的価値をめぐり、個人のアイデンティティは個人の法的利益(人格権)に関わる極めて重要な価値である点を、(3)調査・実証研究班及び理論研究班に所属し法史学を専攻する矢切努は、日本の地方「自治」制度史の観点から、「国民共有の知的資源」とは即ち、地方住民共有の知的資源でもあり、地方住民共有の知的資源とは即ち、個人のアイデンティティの集大成である点をそれぞれ論証する。
 D.「①『個人のアイデンティティ記録』の収集・保存・管理・利用を行うアーカイブズの運営主体はいかなる組織・機関が担うべきであり、②その根拠はどう説明され、③究極的には個々人の問題にすぎない『個人のアイデンティティに関わる問題』について、市民の血税を投入したアーカイブズで対応すべきである根拠は何か?」の“問い”に対し、(1)土井は、政府の必要性をめぐるいわゆる「社会契約論」的論証の観点に基づいて、(2)手塚は、個人の尊重に基盤的価値を置く日本国憲法体制における政府の存在意義とその果たすべき役割という観点から、(3)矢切は、日本における地方行財政制度史の観点から、各自①「個人のアイデンティティ記録」の収集・保存・管理・利用を行うアーカイブズの運営主体は、地方公共団体であるべきであり、②その根拠は、「個人のアイデンティティ記録」の定義 すなわち、個人のアイデンティティを確定するために必要不可欠な、時を貫く共同体共有の記憶を、記録したものを踏まえると、「個人からの距離が相対的に遠い国家でなく、個人により近い位置にある地方公共団体が、『個人のアイデンティティ記録』の収集・保存・管理・利用を行うアーカイブズの運営主体であるべき」ことを論証する。